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2004年2月

2004/02/12

日本 2-0 イラク

0212


 入場時ゲートでは金属探知機が用意されていた。メンドクせえと思いつつ係員のチェックを受ける。案の定私のポケットの周囲からピーピーピーピーやかましい音がなる。どこまで私物を公開させられるのかと思っていたが、係員はそのまま「はいいいですよ」・・・いいのか?それで本当にいいのか?前からずっと思っているけれど、日本のサッカーって手荷物チェックがいい加減だよなあ。それだけ平和だということだが。

 国際ランク49位という実力を見てもイラクがそれほど悪いチームだとは思っていなかった。もちろん戦争ですべてが壊され練習ができない状況の中での試合というのはハンデがあるのだろうが、サッカーを通じて培ってきた感覚と言うのは忘れるものではない。しかも彼らは軍人である。フィジカルトレーニングが仕事と言っていいようなものだろうから日本が勝つにしてもそれほど一方的な試合にはならないだろうとは思っていた。

 試合は2-0で日本の勝利。あまり内容のない、苦労した勝利であった。なぜ苦労したのかを考えてみる。坪井のミスが散々叩かれているけれど、必ずしもそうだとは言えない。苦労した原因は二つ。三都主のオーバーラップ時に他のディフェンダーがフォローできず、カウンターをまねいてしまったこと。もう一つは藤田、小笠原の二人が機能せずフォワードにボールが送れないばかりか2列目でパスカットされてしまったこと。この2点が問題だと思う。

 坪井の立場になって考えてみれば彼の過酷な立場がわかる。手薄なサイドのフォローをこなしながら前線にボールを出さなければならない。しかし坪井から山田、藤田、小笠原にボールを出してもそこで奪われたらディフェンスはどうしようもない。お互いが中盤でプレスを掛け合う現代のサッカーではシュートで終わらせなければそのまま自チームのピンチを招いてしまう。このパターンで散々失点を重ねていた典型が横浜FCで、遅い攻め上がりが相手に守備を固められてカウンターを喰らう。だからこの試合、私は坪井を責めるつもりはない。ディフェンスに負担をかけた原因は藤田と小笠原のパスの受けが悪いせいだと思っている。

 タクトを振る人がいない。私はこの試合をアウェイゴール裏から見ていたが、イライラしていた理由はそこにある。緊張感がかけた試合と評価されているけれど、指揮者のいないオーケストラにまともな演奏ができないのと同じことで、今日の試合でクオリティをのぞむのは所詮無理だったのだろう。フィールドの選手からは「中田さん戻ってきてくれ」との無言のメッセージが聞こえてくるようだった。

 ジーコが望んでいる自由な発想によるサッカーというのは選手一人一人が自分と相手の役割を理解し、相互の信頼を持ってプレーをすることに他ならない。しかし強力な個性をもつプレーヤーがいないこの試合でそれが出来るのか?不可能だろう。約束事ができていない状態で三都主にオーバーラップを自由にさせればディフェンスラインの負担が増えるのは自明の理だ。それは先日のU-23における闘莉王も同じことがいえる。ディフェンスがボールをもったままオーバーラップをかけるのはトップ下の選手と信頼関係が結べないかぎり難しい。

 ジーコはこのチームにのぞんでいるのはもちろん勝利であろうが、その勝利をつかむための方法論が見えない。山田が負傷して福西が入ったが、福西はボランチなわけで、ディフェンスぎみに構える彼のポジションには疑問を覚える。ディフェンスラインは藤田や小笠原をどこまで信用しているのか?彼らを経由することなくトップの久保や柳沢にボールが入り、彼らを経由して小笠原がシュートを打ったりすると私は頭を抱えてしまう。


 個人的には・・私はそれでも楽観している。主力メンバーが召集できないということは、やっと日本も強豪の仲間入りをしたということなのだから。イタリアやブラジルも同じことが起きている。クラブが選手を放さない、そのためベストメンバーを招集できずにテストマッチを行い、決していいとは言えない内容で何とか勝つ。これはどこも同じだ。それゆえのテストマッチなのだから。まあオマーン戦で負けようものならジーコもタダでは済まないと思うが、私は気楽に見ている。とりあえずひとつづつ。18日は埼玉には行けないけれど楽しみではある。

国立霞ヶ丘競技場 晴 約38,663人(公式発表)

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