2015年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

アクセスパーツ

  • アクセスパーツ

    ジオターゲティング

« 2004年4月 | トップページ | 2004年6月 »

2004年5月

2004/05/23

第1回時の路ヒルクライム in 会津 自転車ロードレース参戦記

0515

 実は私の実家は自転車屋である。ゆえに自転車レースについては子供の頃から興味あったけれども自分自身が参戦することは考えてもいなかった。ツールド・フランスやジロ・デ・イタリアは遠い国の話であり、私は雑誌などで結果を見るしか方法がなかった。 私がレースに出なかった理由は簡単で、まず競技用自転車を買おうとすると入門用の自転車ですら価格は10万円が最低ラインである。一般的にたかがチャリ(自転車屋、サイクリストはこの言葉を嫌うので注意)でそんなに出せるか、という気持ちは今でもある。

 もうひとつはもっと単純で、私が自転車に乗りまくっていた20年前は公道を封鎖して自転車レースを行なうことなど殆ど無かったからである。 時代は変わる。警視庁、自衛隊、海上保安庁が映画撮影に協力するようになった。特区ができ、かつ地方交付税交付金の割り当てが目減りしている現在、田舎の公道を封鎖してイベントを開催することが増えたのは自然の成り行きかもしれない。

 ヒルクライムだから当然山登りである。山を登るわけだからスタート地点あるいはゴール地点は温泉街であることが多い。ここがミソで要は参加者を温泉宿に泊めるために企画を立てたと言ってよいだろう。バレンタインデーが製菓会社の企みなのと同じである。

 過去の経緯はともかく、ヒルクライムレースが全国で企画されている以上、ぜひとも走りたい。幸い自転車は買った。しかし緒戦のレース、群馬県ツールド・草津ははペダル脱落によりリタイア。悔しさが収まらず、2戦目を福島県会津本郷町、時の路会津ヒルクライムレースと定め、毎日会社帰りにジムでトレーニングを行なった。本来土日も走りこむべきであるが、これはサッカー観戦を優先したためなし。自分自身、この辺に軟弱さを感じるものはある。

 前日、会津高田のユースホステルに宿泊する。外は雨。雨の中走るのはつらい。同宿した他の参加者達と愚痴をいいながら宿泊する。雨の中は走りたくない。濡れるし寒いし転ぶし疲れる。頼むから晴れて欲しい。そう思いながら布団に入る。

 翌朝、5時起床。外は明るい。雨は降っていないし木漏れ日が差している。少し安心する。ユースホステルとはいえシングルルームなので考えることは多い。ペース配分や車両のチェック、忘れ物の有無など。こういうときは楽しさと怖さが同居している。

 私は自家用車で来ているのでゆっくりしているが、自走組みはもう出発準備に入っている。互いに健闘を祈って別れる。ついで私も出発準備に入る。まずは着替え。自転車レースなので普通サイクルジャージを着るが今回は福島県開催のため横浜FCレプリカユニフォームを着る。理由は当然、背中の「ふくしまの米」をアピールするためである。昨日エントリーしたときに貰ったゼッケンを安全ピンで留め、出発する。

 参加者の多くが既に到着し自転車のセットアップを開始している。私も自家用車から自転車を取り出し空気調整と各ねじのマシ締めを行いスターと地点に行く。私の参加クラスはロードの部30~39歳。レース区分の中ではボリュームゾーンである。

 午前9時。開会式。会津本郷町長の長-い話が延々と続く。殆ど小学校の朝礼を思い出させる。その後商工会会長、会津若松警察署長、青年団、JR地区長などが話を行なう。天気も良くて眠くなる。午前9時30分、クラス別にスタートする。チャンピオンズクラスがスタートして、その次が私のグループなのでスタート順が比較的早い。気持ちの準備ができていなかったので少し焦る。役場前の直線道路で一旦停止。そしてスタート。足首に巻いたRCチップ(コンピュータ計測チップ)が測定器を通過し競技開始。

 開始してしばらくは平坦な路を走る。このレース、全長13.5キロであるが、6~7キロは平坦な路を走る。この間集落をいくつか通過する。すべての交差点は警察によって封鎖され、信号機は青で固定される中走るのはたいへん気持ちが良い。

 道は徐々に上り坂に入る。私が本来所有している自転車は修理中のため店の代車で出場。競技用を前提としていないためこいでもあまり進まない。競争心理があるのでいつもより力を入れてこぐ。そうするとオーバーペースぎみになり焦りと疲れがでて前に進まない。 まだ3分の1を過ぎたあたりであるが、疲れてきた。ペダルに力が入らなくなる。もう少し、あのコーナーを越えたら一息つこうと思うけれど、そういうときに限って道は平坦になる。本能的にギア比を上げ、スピードを出す。

 数キロおきに集落の中を通過する。10件程度の民家にはお爺ちゃんお婆ちゃんが旗を振りながらがんばれーっと声援を送ってくれる。私の実家は国道1号線沿いにあり、私の正月は現場で箱根駅伝を旗を振り選手を応援しながら過ごしてきた。今、逆の立場で私は走っている。声援を受けて走るのは悪い気はしない。しかしペースが落ちると罵声が飛び始める。「何やってるんだー!やる気無いならやめちまえ!」と怒鳴られると無性にムカついてく
る。しかし私だって三ツ沢球技場で全く同じ言葉を選手に吐いているので人のことは言えない。

 いつしか集落は途切れ勾配が急になり道はつづら折になる。走っていると抜くこともあるが抜かれることのほうが圧倒的に多い。短いコーナーをエッチラオッチラ登っていると視界には誰もいなくなった。私一人が黙々と登っている。

 永遠に上り坂が続くように思えてくる。ひょっとしたら私はビリなのかもしれない。そう思えてくる。そう思いながらコーナーを抜けると少し長い直線に出る。その直線にはビッシリと1列になって登る選手の一団がいた。良かった。俺だけではなかった。少しペースが上がる。そして後ろから選手が私を抜きにかかる。みんな息をハアハア
ゼイゼイあえぎながら登る。ペダルをこぐ力が弱い。初心者もベテランも皆苦しい。負けたくはない。私も気を取り直してこぎ続ける。

 目の前、約10メートルくらい先を私と同じようなペースで走る選手が見える。これは抜きにかかる。10メートルくらいならすぐに抜けそうな気もするが、速度差で言うと時速10キロと11キロの差くらいしかないのでなかなか縮まらない。もう少しペースを上げようとするがもう力が入らない。わき腹が痙攣し始める。もう少し、もう少し踏み込めばこいつを抜けるのに、どうしてそのもう少しが踏めないんだよコンチクショウ!と腹が立つ。

 しばらくするとその選手は勝手に脱落してくれた。再びコーナーが続き、私の一人旅が始まる。しばらくするとあと5キロの看板が出る。残り1/3である。あと5キロもあるのかとうんざりする。周りの木の葉が少なくなり、視界が開けてくる。コーナーを曲がると下界が開ける。下界に会津本郷の町並みが見えると結構登ってきたものだと感慨深い。ペダルは相変わらずきついがだんだん慣れてきた。残り4キロ、3キロ、2キロ・・と看板が出るたび元気になる。残り1キロの看板を過ぎると遠くのほうで、「ドン!ドン!」とタイコを叩く音が聞こえてきた。

 コーナーをいくつか曲がると競技役員が沿道に立ち始めてきた。最後のコーナーを曲がると直線が現れ、タイコを叩く人がいて、そこがフィニッシュラインだった。競技終了。ゴールを通過したが、そこで自転車を止めることは許されず、そのまま真っ直ぐ走らされる。ゴールはちょうど峠の頂上になっており、ゴールを抜けると長いトンネルが現れ下り坂となった。

 長い下り坂を走ると目の前にダム湖が現れる。そのダム湖畔が休憩所になっていた。ロックフィル式の新しいダムで、すでに大勢の人が休んでいる。私も湖畔に入り自転車を止めた。地元の人が食料のサービスをしている。五平餅と3色ダンゴを貰う。喉がカラカラの状態で餅を貰っても困るのだが・・。給水所を見つけて飲む。何杯も飲む。やっと一息ついた。ダム湖なので空気が冷たく気持ちいい。

 終わってしまえばあっけなかった。ゼイゼイハアハア登ってはいたけれど、気を取り直して見ると大して疲れてはなかった。もうひとレースやってもかまわなかった。事実上のデビュー戦なので緊張していたかも知れぬ。順位はわからない。RCチップによる計測なので結果が判明するまで時間がかかる。このレースに置いて私は順位には興味がなかった。

たいした順位ではないのは確かだし。ただ、こんなに余裕が残っているのであればもう少し全力を出したかった。いまさらながら自分に対して悔しい。 あらかた選手がゴールしたころ、今度は下山が始まる。一団となって山を下る。ペダルをこがなくてもスピードだけはどんどん出るので気持ちが良い。辛かった山道も降りるのは楽。山を折りきると市街地を一周する。これはエピローグランなのか。田んぼのあぜ道を走ってスタート地点に戻った。スタート地点でも地元の青年団が食料提供をしていた。 感慨深かったがこれでレース終了。閉会式は2時間後に行なわれるが、私はパスし、自転車を分解して車に積み込み横浜に帰った。帰りの道路はガラガラで4時間程度で自宅に到着。実家に寄り夕食を食べる。

 家族のものが「レースどうだった?」と口々に聞く。「完走した。」と私。そう・・。それ以上は聞かれなかった。順位など気にしない、無事に帰ってくればヨシ。そういうものなのかも知れぬ。普段観戦する立場から参戦する立場に。種目は違えど戦うことは楽しい。また出たい。次の日程はまだわからないが、もう少し練習して上手く早くなりたい。 

2004/05/15

横浜FC 2-1 札幌

0505

 札幌もすでにJ1の頃の戦力はなし。着々と湘南化を進んでいるのが確認できる。惜しむらくはチームも、監督も、選手もサポーターも、わかってはいつつも認めたくない、そんな雰囲気が漂っていた試合だった。

 2-1で横浜の勝ち。競り勝ちと言える内容で、見ていて面白いものがあった。勝敗を分ける要素(湯浅健二氏風に言えば「コンテンツ」か)がいくつもあると、見所が広がる。応援しているチームが勝てば更に良い。こういう満足感を覚える試合というのはJ1でもなかなか無い。

 試合の中での最大の見所は、やはり試合開始直後のフォワードとディフェンスの入替であろう。トゥィードをフォワードに持ってくるフォーメーションは異様で札幌の選手は戸惑っていた。何しろトゥィードを始めとする前線の選手にマークが誰もついていない。和波のキョロキョロした顔を見てると、そりゃそうだろうなと思う。

 これをシステムとして捉えるのは難しい。あえて言えば3-1-6で、6の部分が4-2になったり3-3になったり2-4になったりしていた。考えたのはもちろんリティだろう。こういう馬鹿な(失礼)考えを起こせるのは彼しかいない。まあ控えのキーパーを外すという暴挙をしでかした去年よりは彼もずっと進歩している。

 リティもリティなりに思っていたのだろう。リーグ構成が12チームで4回も対戦すれば手の内はばれてしまう。川崎はともかく他のチームと戦力差はそれほどない状態で勝ち星を拾っていくためには対戦相手が想定しない「なにか」を持っていくしかない。ジェフェルソンが故障した現在、敵のチームは大久保が先発すると予想するだろう、であるならばトゥィードを上げてみようと思ったのかも知れぬ。

 もちろんこれで90分持つわけがない。少なくともディフェンスは全く手薄になる。「だから」20分限定にした。試合開始20分で何事も無かったようにトゥィードがバックスに戻ったのはそのためであろう。逆に言うと横浜だって何が何でも先制点を取りたかったのだ。

 逆に言えば、そのアタックフォーメーションで点が取れなかったのが非常に悔やまれる。いいパスは何本も通った。しかし、ゴールラインギリギリのセンタリングがあまりにも早く、味方の選手が追いつけない。トゥィードのキープ力は札幌のディフェンス能力を上回っているが、敵ディフェンスを抜いた後のフォローがなっていなかった。その後のパスをカットされてしまう。ついていない。横浜FC以外の、例えば川崎対○○と言ったJ2全般に言えることだが、試合展開がスペースの消しあいになってきており、チャンスを確実に得点に結びつけるためにはほんのわずかに生まれたスペースを攻撃側が握るか守備側が消すかが得点の有無の分かれ目になっている。そう考えた場合、いまの横浜FCがコンスタントに得点するのは結構難しい。

 パスが合わなかったのは小野信義の判断ミスが多く、こういうシーンを目にするたびにチーム創設初年度選手の限界というものを感じてしまう。眞中、重田、小野信義、増田、彼らには感謝すると共に、速やかにポジションを後継者に渡す時が来たのだと思う。怪我と実力の限界の両方が目立ち、得点の好機を摘み、失点の危機を拡大してしまう。トップ下は小野ではなく内田で固定すべきだろう。

 さて、横浜の魔法は20分で解けた。札幌はチャンスを得た。案の定攻めるが清野の息が合わない。このスピードのあるフォワードはやる気充分な雰囲気はバッチリ漂わせているけれど、周りが全くついてこれなくて空回りしてしまう。惜しいなあ・・・攻撃は完全に札幌ペースなだけにフォワードとミッドフィルダーの息のアンマッチは致命的だ。 

 試合は両者とも甲乙つけがたいレベルとだと思う。それは両チームがうまいとか、へたとかいうのではなく、J2の標準的なフォワードでは点が取れなくなってきている、という面で言っている。J2のフォワードで点が期待できるのは川崎の2トップと甲府のバロンだけで、城も小倉もマークにつかれるとそこで展開できないという点で限界にきていると感じる。

 試合はこう着状態のまま後半に入り、そのまま引分けかと思った瞬間、札幌の中尾が審判にキレて退場というアクシデントがあり、一気に横浜よりに傾く。なまじ膠着しているだけに戦力の欠如はそのまま崩壊へとつながる。試合は早川が角度の無いところからシュートを決めて得点、2-1で終了した。

 この試合は札幌の自滅というべきもので、結局決定力のなさがそのまま引き分けるか、ミスで負けるかという今年のJ2の現状ををそのまま現わしていると思う。この試合は横浜が勝ったけれど退場したのが去年のマシューだったりすればそのまま横浜に跳ね返っていた。J2は第二クールが始まったばかり。フォワードが決定力を手に入れるか、強固なディフェンスで夏場を乗り切れれば横浜FCはいい順位につけると思う。かぎはその点にある。

三ツ沢球技場 観衆:3,503人 

2004/05/02

川崎 1-0 京都

0502

 前日と打って変わって冷え込んだ日曜日、雨を心配したけれど、グラウンドには日が差してきた。等々力競技場は1万2千人の入り。もう1万人オーバーの試合は珍しくなくなった。こういう一見さんが多い試合は負けてはいけない。必ず勝って次につなげなければいけない。試合前に黒色の新聞を貰う。これを選手入場時に上に掲げるように、とのこと。こういう行為は代表戦などでよくやるが、新聞とは考えたものだと思う。作成したのは朝日新聞だし配ったのはボランティアだし裏面は広告が一杯はいっているしで誰も懐が痛まない。掲げた様子が上と下のの写真。成功と言えるのだけれど残念ながら新聞の限界で色がくすんでしまっている。やっぱりプラカードの配布、回収のほうが効果がある。 試合は1-0で川崎の勝ち。絶対勝たなければならない相手、という割には噛み応えのない、例えて言うなら豆腐を醤油も何もつけずにそのまま食べるような試合だった。

 全体的に見ると両チームとも疲労が目立っており、展開がスローモーで緊張感が感じられず90分が終了した。開幕から完全に1週間に1度のペースで試合をしてゴールデンウィークは中3日でやれば仕方がない面はある。ただ久しぶりに入った1万2千人の観客の目にはどう写ったのか気になるところである。

 この試合を振り返ってみる。この試合のボールポゼッションの大部分は京都に握られていた。支配率で言うと40-60位。そのくらい京都がゲームを支配していた。ただそれは川崎が「持たせてやった」というべきものだと思う。川崎のディフェンスは安定しており京都の攻撃は怖くなかった。松井が復活したところでゲームクォリティが上がるわけでもなく、京都は淡々と攻め、川崎は特に苦も無くボールを奪っていった。

 そのボールを奪い、カウンターとして成功したのが前半12分、ジュニーニョの先制点だった。このジュニーニョの得点の仕方が今年の川崎の強さを証明している。今年の川崎はラインの押し上げというものがない。そのためフォワードが敵ペナルティエリアに入るとフォワード~ディフェンス間が若干間延びしてしまう。ライン伸びため川崎のフォワードはバックからの援護が薄い状態でシュートを打たなければならない。この足りない駒数を川崎は今野、我那覇、ジュニーニョの3人で切り抜けてしまう。

 この得点は今野から我那覇にパスが出て、それをワンタッチで京都ディフェンスの裏に出し、ジュニーニョが飛び出して決めた。ジュニーニョにマークが何人もつくから今野がタメを作りディフェンスの注意を引き、我那覇にパス。そのパスに京都ディフェンスが釣られたところを空きスペースにパス。その空きスペースにジュニーニョが走りこむ。この状態でパスを貰ったらジュニーニョは止められない。チームが決定力のあるフォワードを持っている強みというのは得点が期待できることだけではない。敵のマークをひきつけることによりペナルティエリアに空きスペースが生まれやすいという利点をもつ。 この試合、川崎はヒールタッチで空きスペースにパスを何本も出していた。そのパスはすべて決定的なチャンスとなって京都とゴール前に転がっていく。そのうちの、せめてもう一本。もう一本きめていれば、こんなにのどかな試合にはならなかっただろう。試合自体は間延びしてしまっているけれど、攻めの形がハッキリと読み取れて、もっと試合が興味深かったはずだ。前半12分に得点して残りが無得点だと見ている分には厳しい。

 京都は松井も黒部も熱田もお疲れ状態で足が動かない。こういうコンディションで川崎とやるのも運が無かったのかもしれないが、これもJ2で戦うことの意識の差なのだろう。代表に選手を取られてしまったことは同情に値するけれど、控えの選手層が薄いのは否めない。京都は期待していたチェヨンスがいない。原や田原が松井や黒部よりも見劣りする以上、松井・黒部頼みで戦っていくしかないのだろう。京都の建て直しは仙台の建て直し
より難しいと私は見る。

 この試合、確かに見所は少なかった。そういう意味では前節の横浜戦もそうだった。横浜戦の終了後、横浜FCサポはこう言った。「川崎のサポーターは、こういう試合を見せられて勝って楽しいのかねえ・・」

 結論から言えば勝てばよい。もうそれがすべてだろう。J2でどんなに楽しいサッカーをしようが昇格できなければ仕方が無い。それはJ2落ちしてから4年目を迎える川崎にとって内容など関係なく、もう勝つことだけがすべてだからだ。

 川崎の次の試合はアウェイの札幌戦。札幌は現在最下位だが、川崎はこういう試合はとりこぼしてしまうことが多い。私の次の予定は未定。多分三ツ沢→横浜国際だと思うけれどどうなるか。

等々力陸上競技場 観衆:6,813人

« 2004年4月 | トップページ | 2004年6月 »