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2005年5月

2005/05/19

鎌倉山

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 入院していた父の快気祝いということで、西鎌倉にある「鎌倉山」というレストランでささやかな食事会をしてきました。支店が各所にあるのですが、せっかくなので本店に予約をしました。普段ろくに親孝行などはしていませんので食事代はすべて私が負担。食事は伊勢海老とロースとビーフのセット。とってもおいしかった。両親と私の3人だとさすがに金額も大きくなります。ワインも赤白たのんだし。自腹で払った食事代としては間違いなく人生で最高額です。これなら○○に余裕でいけるななどと考えてしまいますが、両親を食事に連れて行くなどという機会は今後滅多に無いでしょうからたまにはいいのです。
しかし高級レストランは行きつけていないとだめですね。一つ一つの料理ににイチイチ驚いたり感心したり。育ちが出てしまう。まあおいしく食べられたからいいか。

2005/05/17

時の路ヒルクライムin会津

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今週末22日(日)に福島県会津本郷町で行われる時の路ヒルクライムの参加証が届きました。去年に引き続き2度目の参加です。今年はもうちょっとタイムが上がるようがんばります。21日に自宅出発、現地宿泊をして22日にレースです。晴れるといいな。

2005/05/16

ベルンの奇蹟

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 ドイツ映画「ベルンの奇蹟」を見てきました。映画を見るのは3年ぶりです。ベルンの奇蹟とは1954年のスイスワールドカップ決勝でドイツがハンガリーを逆転で下して初優勝をしたことをさします。映画はサッカー好きの少年の元にシベリアから厳格な父親が帰って来たことから始まります。コミュニケーションを取れない親子、家族がワールドカップを通して絆を深めていくという、映画としてはありがちなストーリーなのですが、サッカー好きから見ると1954年当時のドイツサッカーの様子が細かく描写されていて飽きません。

 舞台はデュッセルドルフに程近いエッセンという町です。ルール工業地帯の中核都市として有名ですが、もともとは炭鉱町です。ドルトムントやシャルケが近くにあります。みんな炭鉱町です。ドイツのサッカーは炭鉱町、鉄鋼町の労働者階級で支えられてきたということがわかります。戦争に負けて国が貧しく、炭鉱で働きながら週末のサッカーだけが楽しみだったという点が強調されています。その貧しい敗戦国がスイスワールドカップで優勝するという展開、勝ち上がりを通して互いに理解していく展開は引き込まれます。話はすべてドイツ語で、日本語の字幕を通して聞くわけですが、ドイツサッカーが好きなものにとっては理解できる単語が随所にでてきて楽しいです。

サッカーが好きな人、一度は見てください。何故サッカーが楽しいのかわかると思います。

2005/05/15

深大寺そば

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へたれた試合ばかり見せられているのでラグビーの試合を見に行きました。この時期の公式戦は日本代表のみで、彼らは今日、韓国でワールドカップ予選を戦っています。全くといっていいほどニュースにならないのですが大丈夫でしょうか>ラグビー界。見た試合は横河電機対日本航空(JAL)。場所は武蔵野陸上競技場。遠いよ。横浜市から行く場合、環状八号線から青梅街道を通っていくのが近いのですが、深大寺そばが食べたくなったので多摩川道路から調布に抜けて行きました。この辺は東京に近い割には閑静です。玉川上水の源なので水もきれいです。深大寺そばは江戸時代からすでに名物で、深大寺周辺には30店舗近くあるのですが、横浜市民にはあまり知られていません。武蔵境通りに一番近い店に入りました。天気もよかったので駐車場に面した場所で食べます。気持ちのいいツーリングだったのですが、この後天気は激変、集中豪雨になります。夕方には上がりましたけどね。

2005/05/08

FC東京 3-3 川崎

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 試合開始のずっと前から歌い続けるYou'll Never Walk AloneにFC東京サポーターの覚悟を感じ取った。例えこの試合に負けたとしても、彼らは原監督を解任させるような行動はとらないだろうと。そして入場時に手渡された全選手の書名入りメッセージにはこう書かれていた。「我々は負けない なぜならば、一人ではないから」


 サポーターから愛される選手たち、選手から愛されるサポーターたち。その強固な信頼関係を崩すような真似を誰ができるだろうか。

 サポーターから愛される選手というのは沢山いる。でも選手から愛されるサポーターというのはなかなかない。試合後にブーイングを飛ばすことの是非は良く議論の対象になる。私は飛ばしてもかまわないと思うけれど、そのブーイングが本当に選手の心に響かせるためには「愛」とまではいかなくても信頼関係を築けなければ意味がないだろう。FC東京の選手とサポーターとの間には有視化された信頼がある。それは素直に羨ましいと思う。


 異様な雰囲気の中で始まった試合は3-3の引き分けで終わった。試合終了の最後のワンプレーを大宮の森田に決められた。同点ゴールを決められて芝生に臥せるFC東京の選手たちを見ると今シーズン序盤のフロンターレを思い出す。でも選手の傷はフロンターレよりもずっと深い。もう何度も見た光景だけれど、第三者的に見てもやりきれないものがある。

 試合のポイントは3-1と突き放した直後、大宮のカウンターを一気に喰らって失点したところにある。集中力が明らかに欠如していた。もっともこれを責めるのは簡単だけれど、実際の選手の気持ちを考えるとそれは難しい。絶対に負けられないという悲壮な覚悟を持ってサッカーをして、追加点を取って突き放した瞬間、選手はどういう気持ちになるか。ほっとしたその瞬間を突かれてしまった。その後、東京には落ち着きが見られなかった。がむしゃらに攻め、後方にスペースを作っていた。試合終了間際、迫井が交代要員としてたっているのを見れば、まずゲームを切り、自分たちを落ち着かせ、大宮の気持ちを苛立たせればよかった。大宮ゴール前で奪われたボールは一気にカウンターとなって東京ゴールに向かっていく。大宮がJ2時代から得意としていたパターンだ。

 サイドを駆け上がるトゥットはもう止められない。そのことをFC東京は身をもって知っているはずだが成すすべはなかった。

 トゥットから森田にパスが通った瞬間、私は終わったと感じた。同点となった後、東京に反撃する時間はなかった。時間にして10秒程度はあったのだが、ボールを動かすこともなく試合は終了した。試合は引き分けだけれど、どちらが勝者でどちらが敗者であるかは明らかだ。


 試合が終わり、東京の選手がバックスタンド・ゴール裏に挨拶に行く。大きな拍手が沸き起こる。それは客観的に見れば甘いのかもしれない。でも、サポーター=支える人という面で見れば今が耐え時なのだろう。FC東京サポーターはこの日、選手と地獄まで一緒に行く覚悟を見せた。おそらくJ2降格さえいとわない、そういう覚悟をしたのだと思う。翌日の新聞で、フロントは原監督の続投を発表した。


味の素スタジアム 曇り 観衆22,175人(公式発表)

2005/05/04

新潟ヘギそば

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アルビレックス新潟戦前夜、市内で「へぎそば」を食べました。もともとは小千谷・長岡地区の食べ物なのですが、新潟市内でも食べることができます。「へぎ」とは板の「剥ぎ」のことで板切れを剥いでそば床にしたことから名づけられています。味そのものは普通のザルそばですが。コレ食って気合で勝つぞと思ったらやられました。はあ。

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