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2012/06/02

◆韓国遠征記5 水原へ

韓国遠征記4の続き

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 モーテルの窓からさんさんと降り注ぐ強い日差しに目が覚めて、午前6時起床。朝風呂に入って身だしなみを整える。テレビをつけても何を言っているのか全くわからないので出発することにする。眠りこけている管理人の前に鍵をおいて外に出る。今日もド快晴。5月20日日曜日。外は誰も歩いていない。

 仁川市内を散歩する。仁川は日韓併合時代は日本本土や中国本土への輸出入の拠点だったので当時の建物が沢山残っている。区役所を中心とした一帯は倭館街のような、日本の建物を集中的に残しているようで、映画のセットのような感覚を覚える。区役所自体、当時の日本の役所のもの、他にも朝鮮銀行や十八銀行と言った日本の銀行が多数残されていて。ちょっと考えてしまう。

 日韓併合については韓国・北朝鮮の人が日本に対してかなり強く恨みを抱いていて、それが現在まで反日という形で至っているわけだけれども、それは言いがかりではないかと思う。少なくとも私が見ている限りでは相当数の施設が当時の日本によって建てられたわけだ。それらの施設はは当の朝鮮人全体が日本人として使用することができた。もちろん日本語の使用を強制されたり姓氏改名をさせられたりして屈辱的ではあったとしても、当時の欧米諸国がやっている植民地政策とは全く意味合いは違う。当時の朝鮮半島は紛れもなく日本そのものであって植民地ではない。そこが中南米やアフリカ、あるいはオランダの植民地とされたされたインドネシアとは違う。それよりはずっとマシだと思う。

 当時の朝鮮半島は日本と清国が互いに睨みをきかせつつ、清の属国となっている状態だった。つまり日本が併合しなければ朝鮮半島は清国の領土となり、そのまま中華人民共和国の一部となっていただろう。チベットにおける中国の侵略行為を見ると、それは間違いないと思う。当時の大韓帝国にはそれらに対抗するだけの軍事力も政治力もなかった。清国の領土になれば朝鮮半島一帯は中国における朝鮮族という民族地域ができるだけ、つまりチベットやウィグルと同じ状況が朝鮮半島に起きるだけだろうと思う。

 当時の李氏朝鮮、あるいは大韓帝国自身が日本との併合を望まないのならば自分達で軍隊を強化し、政治力を強くすれば良かった。それをしなかったのは自分達の問題であって日本せいではないと思う。韓国国民が併合されたことを恨むのなら、それは日本に対してではなくて、当時の自分達の為政者に対して恨むのが筋ではないかと思う。日本が戦争に負けてそれらの施設を放棄して、なおかつ当時の朝鮮半島の人々に対して事実上の賠償金まで支払っているのに、さらに今日になってまで日本企業に個人賠償を求める裁判まで起こしているのを見ると、結局はこの程度の国民なのだろうと思う。

 閑話休題。

 早朝の仁川市内の散策をしたあと、タクシーでバスターミナルに行き、水原行きのバスに乗った。仁川-水原間のバスは頻発していて、すぐに乗れた。バスは高速道路をひた走る。朝が早かったこともあり、すぐに寝た。運転手に起こされて目が覚める。危なかった。事前に運転手に水原行きであることを確認したのが良かった。このバスは釜山に近い浦項行きで、下手すると400キロ先の浦項までつれて行かれるところだった。礼を言って外に出る。

 バスセンターのレストランで遅い朝食兼早い昼食を取り、今日の日程を考える。現在は午前11時。試合開始は午後3時であと4時間もある。私はタクシーでパクチソンサッカーセンターに行った。

 パクチソンはマンチェスターユナイテッドの選手で、かっては京都サンガにいたこともあり、日本でも有名な選手である。彼はここ水原の出身なので、地元に対してサッカーアカデミーを開いている。偉いことだ。韓国の人気度はすさまじく、至る所にパクチソンの人形があり、パクチソン大通りまである。日本で言うと中田英寿か三浦知良かと行ったところだが、日本のそれとは熱狂度具合が全く違う。

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 パクチソンサッカーセンターは映画の撮影が入っていたようで、付近一帯は立入禁止だった。取り巻きファンがかなり多く、それっぽい俳優が通るたびにキャアキャア声がかかる。何がよいのかよくわからないのですぐに撤退する。大通りまで歩いてバスに乗り、バスセンターに戻った。まだ時間があるのでバスに乗って水原華城に行く。城は町の中心部にあってそれほど乗るまでもなく入口についた。

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 水原華城は輪城で、ヨーロッパによくあるタイプの城壁でかこった城である。天守はない。18世紀末の建築なので城自体は結構新しく、輪城ということもあって、特に思うような所はなかった。城伝いに歩いてみようとしたが、全長が5キロもあって、なかなか厳しい。直射日光による暑さと登り下りの連続で体力が無くなり、半周したところで挫折した。まだ少し時間があるが、スタジアムに行こうと思う。

スマホでGPSを開き、自分の位置とスタジアムの方向を確認する。華城からスタジアムの近くまでは大通りが伸びているので、スタジアム方面に走るバスを見つけて飛び乗る。途中、変なところを曲がられると困るので、GPSで現在位置を常に確認し、数百メートルの近さまで近づいたところでブザーを押し、バスを降りた。通りを抜けて交差点に入ると大きな照明塔が見え、サポーター達が続々と集まっている。水原ワールドカップスタジアムの特徴である鳥の羽をしたスタジアムが目の前に現れた。試合開始まであと1時間である。

韓国遠征記6 に続く

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