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海外サッカー

2012/06/07

◆韓国遠征記7 さようなら韓国

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◆韓国遠征記6 からの続き


 試合が終わると私はすぐにスタジアムを後にして、ダッシュで大通りに出た。目の前にあるバス停にはバスが何台か連なっている。私は運転手に水原駅に行くか確かめて乗った。バスはすぐに発車した。日曜の夕方なので市街地は混んでいて、通常なら15分程度で行くところが30分もかかった。道路は混んでいたが、今回のミッションは全てこなしたので、満足感があった。時刻は午後5時30分。陽はまだ高いが、既に私にはやることがなかった。

 問題なのは今日の宿をどうするか、まだ決めていないところである。普段なら夕暮れどきだからこの辺で泊まろうか、という気になるのがが、今回に限ってはそうは行かない。実は明日の帰国便が金浦空港午前8時発とメチャクチャに早く、コレに乗るには空港に午前6時30分に着かねばならない。宿泊地から空港までの所要時間が1時間と仮定すると、宿を出るのは午前5時30分、ぶっちゃけ、ソウル中心部に泊まってもきついかもしれない。

 私は水原駅からKTXでソウル駅に出て、空港鉄道で金浦空港に行った。空港の近くに泊まればまだ楽だろうという算段があった。金浦空港に着いたのは午後7時を回っていた。流石にお腹が空いた。金浦空港は国際空港であると同時に、プレミアムアウトレットモールと化していて、つい先月にロッテデパートが大々的に開店している。幸いデパートはまだ開いていた。土産物でも買おうかといくつかお店を回ってみたが、日本円換算で日本のデパートと同程度なのであきらめる。これだけ円高になっても高いと感じるのだから、韓国人相手に商売になるのかなともおもう。

 デパートで買い物をするのはあきらめて、いつもの空港に隣接しているショッピングモールでいつもの海苔とお菓子を買い、いつものフードコートで夕食を取った。午後8時にちかく、空港から出る飛行機は全て出てしまったので閑散としていた。ビビンバ定食を食べてみたが少し侘びしい。明日は帰国なのでビールも飲む。するとわびしさがさらに大きくなる。広いフードコートの中で一人で食べる夕食というのは、いいものではないなと思う。

 夕食を食べた後、ふと我に返った。繰り返すが、問題は今日の宿をどうするか、まだ決めていないところである。時計は夜9時を回っている。流石に焦った。とりあえず空港ロビーに行ってみると、幸いまだインフォメーションカウンターが開いていた。私はカウンターのお姉さんに金浦市に行くにはどうすればいいか聞いてみた。空港が金浦空港と言う名前なのだから、金浦市中心部はすぐ近くにあるのだろう、そう考えていた。それは浅はかな考えだった。

 お姉さんは、バス乗り場を紙で書いて、これに乗るようにと教えてくれたのだが、それによると金浦空港から金浦市内までは1時間程度掛かるらしい。教えられたバス停に行ってみると女子高生の集団が5人程度待っていた。彼女達に金浦市行きのバス停であることを確認する。英語が通じるのはありがたかった。夜の9時30分の空港バス停に女子高生とは少しミスマッチであったが、ひとりぼっちというのも寂しいのでホッとする。20分程度待っただろうか。ごく普通の路線バスが来て、彼女達は乗り込んだ。私も乗り込んだ。バスは金浦空港周辺の市街地をチョコマカ停車しながら金浦市に向かって走っていく。空港を離れると窓の外はなにも見えなくなった。スマホ+GPSだから心配はなかったが、なにも準備していなかったらちょっと心配になっただろう。

 GPSで表示される現在地と、地図に表示されるモーテル群の位置を見比べて、近い所でバスを降りた。このままホテルに入りたいところだが、明日に備えて帰りのバス停の位置を確かめておく。バス停で待っていたお兄さんに金浦空港行きの路線番号と始発時刻を確認し、最寄りのホテルに入った。もう明日の交通の心配は無いけれど、念のためホテルの支配人に明朝タクシーを呼んでもらえるか聞いてみる。問題ない、呼べるよ!と言うので午前5時に迎えに来てもらうよう、お願いし、部屋に入った。時刻は午後10時30分を回っていた。

 かなり疲れているが、今日は訪韓最後の日なので、外のコンビニでビールを買い、一人で祝杯を掲げ、すぐに寝た。明日の朝が早いことが気になり、なかなか寝付けなかった。

 翌午前4時30分起床。午前5時にフロントに降りて、支配人にタクシーを呼んで貰う。タクシーはすぐに来た。行きに1時間かかった道のりは、今度は20分で到着し、午前5時30分金浦空港着。ちょうど日の出の時刻である。今日は5月21日。日本では金環日食が見える日である。日本国民の大多数が日食グラスを片手に空を見上げている頃、私は金浦空港の待合室で、じっとチェックインが始まるのを待っていた。

おしまい。

 

2012/06/04

◆韓国遠征記6 水原三星-蔚山現代

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◆韓国遠征記5からの続き

 試合開始までは時間があるのでスタジアムに併設してあるワールドカップ記念館を見学する。入場料として1000ウォン(75円)を払うとスタジアムを模したピンバッチをくれた。展示物は当時の韓国代表のユニフォームなどが主で、相当古いユニフォーム以外はとりたて目新しいものはなかったが、係員がかなり親切で、片言の日本語で案内してくれた。日韓大会当時の光景を思い出すことができた。

 とりあえずチケットボックスでチケットを買う。相変わらずダフ屋が沢山いるが、値段を聞いてみるとバックスタンド側で1万ウォン。定価が1万4千ウォンだからまあそんなものかと思ったが、今日は快晴で日差しが非常に強い。バックスタンドだと逆光になってしまうので窓口で正規チケットを買った。2万ウォン(1600円)。昨日の仁川もそうだけど、全体的に昨年よりもチケット代を値上げしている傾向がある。それでも日本よりも安いが、これは円高の影響もあるので高い安いは一概には言えない。

 水原ワールドカップスタジアムは4万人収容の、正真正銘のサッカー専用競技場でピッチが近い。1階席から見る限りは何も不満に思うところがない。素晴らしいのはメインスタンド全体を覆っている巨大な屋根で、1階席を含めて殆どが雨に濡れることがない。この巨大な屋根、鳥が羽を広げるような形をしていて、それが「ビッグバードスタジアム」の愛称にもなっているのだけれど、ちゃんと屋根の役目を果たしているのが嬉しい。日本でも鳥が羽を広げたように作っている競技場はいくつかあるが、どれもデザイン優先で、雨をよける役目も日差しを遮る役目もない。そういう所が差をつけられているなあと思う。

 お客さんは多かった。今までKリーグは何試合か見たけれど、例外なくガラガラで日本のJ2のほうがずっと観客が多いと思うような試合ばかりだった。今日のスタジアムは試合開始1時間前でメインスタンド、バックスタンドは7割程度の入り、ホームゴール裏1階席はほぼ満席だった。私は2階席に行ったがそれも試合開始時刻が近づくにつれて埋まっていった。私は嬉しかった。やはりお客さんは多い方が良い。

 試合開始前のセレモニーが始まる。大歓声が上がったので何事かと見るとパクチソンがでてきて、何かしゃべっている。後で聞いた話ではKリーグの観客増加に一役買って欲しいと依頼があり、スピーチをしたそうだ。と言ってもパクチソンはKリーグでプレーをしたことがないからなあ・・あまり説得力はないのだが、いいのか?

 今日の対戦相手は蔚山である。あの家長がプレーをしている蔚山である。アウェーゴール裏の蔚山サポーターは殆どいなかったが、それでもブラジル国旗と日本国旗を並べてあってちゃんと応援していることを見せている。ちょっと嬉しい。

 スタメン発表が始まる。最初に蔚山から紹介されるので耳をすまてして聞いてみる。・・・ ・・・ ・・・ ・・・
サブだった・・・・・・・・・。


家長出せコラ!

がっかり。怪我をしているのかなあ。今日の試合は蔚山にとっても大事な試合で、温存ということはないと思うけれど。ガンバにいた頃は好きな選手ではなかったが、海外に出ればやっぱり活躍して欲しい。

続いて水原の紹介。韓国人選手名は何が何だか全くわからないが、外国人選手はわかる。ラドンチッチって今は水原にいるのか。甲府ではあまり活躍した覚えがなかったけど、城南に行ったところまでは知っている。続いてボスナー・・・。ボスナーって千葉や清水にいたあのボスナーか?スマホで調べて見るとそうらしい。私は選手の移籍はかなり無頓着なので、こういうことは疎いのだが、JリーグとKリーグって本当につながっていることを感じさせる。

ドボルザークの新世界交響曲が盛大に鳴り響きながら選手入場。水原は青、白、赤の三色旗でお出迎え。アディダス、トリコロール、ブルーウィングス。どこかのチームを思い出すけれど、まあいいか。

 試合が始まる。水原のパスが早い。でもあっさりカウンターを食らって蔚山先制。うーんどうなんだろう。でも遠い位置でフリーキックを得る。無理だろうと思っていたけれど、これをボスナーが一発で決めて水原同点。凄え!。蹴った場所はセンターサークルとペナルティキッエリアの中間くらいの位置で、ここからのフリーキックが決まったことは殆ど見たことがない。いいものを見せて貰った。それにしてもボスナーは凄い。

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スピードの速い展開は相変わらずで、正直、これはJリーグよりレベルが高いと思う。水原にしても蔚山にしても、チャンピオンズリーグでこれらに勝つのは並大抵の努力では無理だ。

 前半が終了した。私は一旦観客席の外に出た。水原のスタジアムはピッチの四辺が独立していて、それぞれの観客席は専用のゲートから入るようになっている。私はバックスタンド側でも観戦したかったので、一旦外に出てチケットボックスでバックスタンド席を買い直そうかと思っていた。・・・・ところが・・・

観客席間を区切るパーティションは何故か解放されていた。これだとどのチケットを持っていてもどこでも観戦できることになる。いいのか?私は一番値段の高い席を買ったのでそれほど良心はとがめないけれど、セキュリティは大丈夫なのかと思う。私はチケットを買い直すことなくバックスタンドに行った。まあいいか。

 ビッグバードの名にある巨大な屋根が美しい。こういう一見無駄のように見えてちゃんと機能性を満たしているというか、遊び心のある建築は日本人はできない。日本のスタジアムは、戦国武将の兜をイメージして作りましたなどと能書きをたれて、それが観戦のしづらさにつながってしまうのだから正直恥ずかしい。


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 想像はしていたが、バックスタンドは予想以上に逆光が厳しかった。これで試合を見るのは辛いが、もう戻るのもめんどうなので、ここで観戦する。席は概ね満席だが探せば結構空席が見つかる。それにしても、観客席は食い散らかしが目立つ。中国でもこういうところはあったけれど、結局は民度の問題なのだろう。どんなにスタジアムが立派でも、家電が日本を追い越しても、結局モノを言うのは国民性かなと思う。最近の日本はそれも怪しくなってきたが。

 試合は1-1で膠着していたが、後半ロスタイム、あとワンプレーで終了か、というところで水原が勝ち越しゴールを決め、そこで終了した。大歓喜にわくスタジアム。がっかりして倒れ込む蔚山の選手。この対比がサッカーの試合の中で、一番残酷で一番美しい風景だといつも思う。試合終了を見届けると私はダッシュでスタジアムを後にした。

 ◆韓国遠征記7 に続く

2012/06/02

◆韓国遠征記5 水原へ

韓国遠征記4の続き

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 モーテルの窓からさんさんと降り注ぐ強い日差しに目が覚めて、午前6時起床。朝風呂に入って身だしなみを整える。テレビをつけても何を言っているのか全くわからないので出発することにする。眠りこけている管理人の前に鍵をおいて外に出る。今日もド快晴。5月20日日曜日。外は誰も歩いていない。

 仁川市内を散歩する。仁川は日韓併合時代は日本本土や中国本土への輸出入の拠点だったので当時の建物が沢山残っている。区役所を中心とした一帯は倭館街のような、日本の建物を集中的に残しているようで、映画のセットのような感覚を覚える。区役所自体、当時の日本の役所のもの、他にも朝鮮銀行や十八銀行と言った日本の銀行が多数残されていて。ちょっと考えてしまう。

 日韓併合については韓国・北朝鮮の人が日本に対してかなり強く恨みを抱いていて、それが現在まで反日という形で至っているわけだけれども、それは言いがかりではないかと思う。少なくとも私が見ている限りでは相当数の施設が当時の日本によって建てられたわけだ。それらの施設はは当の朝鮮人全体が日本人として使用することができた。もちろん日本語の使用を強制されたり姓氏改名をさせられたりして屈辱的ではあったとしても、当時の欧米諸国がやっている植民地政策とは全く意味合いは違う。当時の朝鮮半島は紛れもなく日本そのものであって植民地ではない。そこが中南米やアフリカ、あるいはオランダの植民地とされたされたインドネシアとは違う。それよりはずっとマシだと思う。

 当時の朝鮮半島は日本と清国が互いに睨みをきかせつつ、清の属国となっている状態だった。つまり日本が併合しなければ朝鮮半島は清国の領土となり、そのまま中華人民共和国の一部となっていただろう。チベットにおける中国の侵略行為を見ると、それは間違いないと思う。当時の大韓帝国にはそれらに対抗するだけの軍事力も政治力もなかった。清国の領土になれば朝鮮半島一帯は中国における朝鮮族という民族地域ができるだけ、つまりチベットやウィグルと同じ状況が朝鮮半島に起きるだけだろうと思う。

 当時の李氏朝鮮、あるいは大韓帝国自身が日本との併合を望まないのならば自分達で軍隊を強化し、政治力を強くすれば良かった。それをしなかったのは自分達の問題であって日本せいではないと思う。韓国国民が併合されたことを恨むのなら、それは日本に対してではなくて、当時の自分達の為政者に対して恨むのが筋ではないかと思う。日本が戦争に負けてそれらの施設を放棄して、なおかつ当時の朝鮮半島の人々に対して事実上の賠償金まで支払っているのに、さらに今日になってまで日本企業に個人賠償を求める裁判まで起こしているのを見ると、結局はこの程度の国民なのだろうと思う。

 閑話休題。

 早朝の仁川市内の散策をしたあと、タクシーでバスターミナルに行き、水原行きのバスに乗った。仁川-水原間のバスは頻発していて、すぐに乗れた。バスは高速道路をひた走る。朝が早かったこともあり、すぐに寝た。運転手に起こされて目が覚める。危なかった。事前に運転手に水原行きであることを確認したのが良かった。このバスは釜山に近い浦項行きで、下手すると400キロ先の浦項までつれて行かれるところだった。礼を言って外に出る。

 バスセンターのレストランで遅い朝食兼早い昼食を取り、今日の日程を考える。現在は午前11時。試合開始は午後3時であと4時間もある。私はタクシーでパクチソンサッカーセンターに行った。

 パクチソンはマンチェスターユナイテッドの選手で、かっては京都サンガにいたこともあり、日本でも有名な選手である。彼はここ水原の出身なので、地元に対してサッカーアカデミーを開いている。偉いことだ。韓国の人気度はすさまじく、至る所にパクチソンの人形があり、パクチソン大通りまである。日本で言うと中田英寿か三浦知良かと行ったところだが、日本のそれとは熱狂度具合が全く違う。

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 パクチソンサッカーセンターは映画の撮影が入っていたようで、付近一帯は立入禁止だった。取り巻きファンがかなり多く、それっぽい俳優が通るたびにキャアキャア声がかかる。何がよいのかよくわからないのですぐに撤退する。大通りまで歩いてバスに乗り、バスセンターに戻った。まだ時間があるのでバスに乗って水原華城に行く。城は町の中心部にあってそれほど乗るまでもなく入口についた。

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 水原華城は輪城で、ヨーロッパによくあるタイプの城壁でかこった城である。天守はない。18世紀末の建築なので城自体は結構新しく、輪城ということもあって、特に思うような所はなかった。城伝いに歩いてみようとしたが、全長が5キロもあって、なかなか厳しい。直射日光による暑さと登り下りの連続で体力が無くなり、半周したところで挫折した。まだ少し時間があるが、スタジアムに行こうと思う。

スマホでGPSを開き、自分の位置とスタジアムの方向を確認する。華城からスタジアムの近くまでは大通りが伸びているので、スタジアム方面に走るバスを見つけて飛び乗る。途中、変なところを曲がられると困るので、GPSで現在位置を常に確認し、数百メートルの近さまで近づいたところでブザーを押し、バスを降りた。通りを抜けて交差点に入ると大きな照明塔が見え、サポーター達が続々と集まっている。水原ワールドカップスタジアムの特徴である鳥の羽をしたスタジアムが目の前に現れた。試合開始まであと1時間である。

韓国遠征記6 に続く

2012/05/29

◆韓国遠征記4 仁川の夜

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◆韓国遠征記3の続き

 時計は午後5時を回ったが、今晩の宿はまだ決めていない。昼ご飯も食べていないのでお腹が空いている。さて、どうしようか・・・・・。 悩んでいてもしょうがないので仁川市内に行くことにする。仁川市中心部に行くには電車で一駅乗り、東仁川駅で降りればよい。東仁川駅前は結構ゴミゴミしていて一昔前のソウル東大門付近の感じがした。ここで少し観光する。

 東仁川駅前を斜めに通る細い道路があり、丘を目指して登るようになっている。お腹が空いているが、頑張って歩く。左右に日式の「おでん」とか「やきとり」とか「居酒屋」とか書かれたお店が連なっていて、それがまた煙をぷんぷん漂わせて来る。何度も入りそうになりかけるが、その都度我慢我慢と前を向いて歩く。ハングルばかりの町の中で、こういう漢字の看板を出されると我慢をするのは難しい。

 丘のてっぺんにマッカーサー像があった。少し眺める。今の授業は知らないが、私の中学・高校時代は近代・現代史を徹底的にスルーしたような所があって、こういう戦争物はほんのサワりだけしか教えなかった。マッカーサーと朝鮮戦争はどういう関係があるのかわからない、という人も結構いるのかもしれない。仁川という土地が朝鮮戦争において劣勢だった戦況を一変させた上陸作戦の地であることはもっと知っておいても良いと思う。

 丘のてっぺんからさらに港の方に向かって降りる。ここが中華街で、中華料理店が多い。ここで夕ご飯を取ることにする。ジャジャンミョンという黒い肉味噌麺が韓国にあって、これは盛岡名物のジャジャ麺とほぼ同じものだが、発祥の地が仁川の中華街とされる。韓国が自称する発祥の地というのはあらゆる意味で眉唾ものなのだが、とにかく発祥の地だそうなのでそれを食べる。他にも食べたいモノがあるが、まずはそれを食べる。紫禁城というお店が伝承の地だそうなので、そこに入って注文する。

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 味は結構美味しかった。積極的に勧めるほどのモノではないが、手軽に腹持ちさせたいときにはちょうど良いのではないか。料金は5000ウォン(350円)。いわゆるB級グルメの類で、これだけだと少し寂しいかもしれない。

しばらく中華街をうろついてみる。横浜の中華街のような大規模なモノではなく、2本程度の通りに立ち並ぶだけのモノだが、やはり漢字があるとありがたい。ハングルだらけだと時々イライラしてくる。ハングルもある程度覚えてしまえば簡単なのはわかるけれど、年に1回いくかどうかのためだけに覚えるというのは結構きつい。

 時計は7時を回った。宿を探さなければならない。スマホのGPSで現在地を表示し、「MOTEL」と打ち込んでモーテル郡を探す。この近辺にはないようだ。私は中華街を下って仁川駅前に出て、線路沿いに2キロほど歩いた。東仁川駅に通じる繁華街で小綺麗なホテルを見つけたので交渉して泊まる。一泊4万ウォンで話がついた。
荷物を放り出して繁華街を歩く。ここから東仁川駅前にかけては飲み屋街とショッピングモールになっていて、人通りが多い。私は一軒の店に入って適当に注文しながらビールを飲んだ。明日は水原に移動する。

◆韓国遠征記5に続く

2012/05/26

◆韓国遠征記3 新スタジアム

◆韓国遠征記2 の続き

5月19日午前6時。サンサンと差し込む陽の光で目が覚める。今日も快晴で大変気分がよい。早めにチェックアウトしてベーカリーショップで朝食を取る。どうでもいい話だけど、韓国ではちょっとオシャレなお店で食事を取ると料金が跳ね上がると言うことが多く、今回も焼きたてパンとアイスコーヒーレギュラーで6000ウォン(約450円)だった。今は円高だから少し高いかなと思う程度だが、例年なら600円~700円クラスである。

 今日はソウルまで戻る。タクシーでバスターミナルに行き、市外バスで釜山へ、そしてKTXでソウルへと昨日の逆を取る。KTXは午前中全てが満車なので、立ち席にした。KTXは客室のデッキに跳ね上げ式の簡易椅子があって、そこに座る。これでソウルまでの2時間40分を過ごした。

12時40分龍山着。ここから地下鉄1号線でソウル駅に出て地下鉄4号線に乗換え、仁川市に向かう。今日の試合は仁川ユナイテッド対釜山アイパーク。Kリーグの試合です。カード自体は中位下位対決でどうでも良いのだけど、今年完成した仁川のスタジアム、仁川サッカー競技場を是非とも見たかった。Kリーグの日程でこのスタジアムと明日の水原ワールドカップスタジアムを観戦できるのはこの節しかなかったので、わざわざ休みを取ったのだ。仁川のスタジアムは仁川市街地中心部の東仁川から一駅のところにある。ソウルから延々と地下鉄に乗り、いい加減飽きた頃、桃源(ドゥオン)駅に到着した。試合開始15分前だが一緒に降りたサポーターの数は少なかった。ユニホームを着た仁川サポが二人、釜山サポは一人だけだった。微妙な気分で改札を抜けた。

 仁川サッカー競技場は駅の目の前にあった。元々この立地は陸上競技場と野球場、個人商店が併設していたのだがそれを全部更地にして2万人収容のサッカー場だけを作った。だから敷地には余裕がある。駅前の道路を横断するとそこはもう広大なスタジアム広場で、チケット売り場もそこにある。当日券売場には人が並んでいて、ダフ屋も何人かいる。とりあえずメインスタンド側のチケットを入手してスタジアムに入った。

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 仁川サッカー競技場はイングランドスタイルの4面独立式の観客席で、まさにサッカーをするためだけのスタジアムだった。日本の日立台や三ツ沢と比べるとピッチから観客席までは少し距離があるが、この距離のおかげで最前列に座っていてもピッチ全体がよく見える。バックスタンド側の「INCHEON UNITED」の椅子文字が美しい。青地に黄色、黒の影付きの文字を見るとイングランドに来たのではないかと錯覚させる。実際、観客席に食い込ませたように作られた所にある選手ベンチなどを見ると、相当研究したのだろう。

 観客席は4面独立式だが屋根は3辺がU字状に湾曲してつながっていて、観客席の大半は屋根の恩恵を受けている。雨はもちろん、日差しの強いときでもありがたいと思うだろう。屋根のデザインも美しく、2010年代のデザインだなと思わせる。日韓ワールドカップの時に建設されたスタジアムもできたときは最新式だと思っていたが、今のスタジアムをみると、あれから10年立ってしまったことを感じさせる。 


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デザインはすばらしいと思う。問題は観客で、がっかりするほど人がいなかった。競技場に張り出したガラス張りのスカイボックスは無人で荷物置き場のようになっている。2階席に上がってみると座席全体が誇りをかぶっている。以前から気になっているのだが、韓国って美化という概念がないのだろうか。日本の清潔さの方が異常という声もあるが、そういうモノでもないだろう。仁川ユナイテッドは昨今韓国で騒がれた八百長問題の当事者チームで、その影響もあるのかもしれない。サッカーに限らず国家代表チームだけを応援する傾向があるのは日本も同じだけど、ここまで良いスタジアムができたのなら市民全体で応援してあげればいいのにと残念に思う。

 土曜午後3時、快晴という、観戦者にとってはこれ以上ない条件で試合は始まった。ポゼッションを取っているけれど展開力が全く無い仁川と、そもそもボールがとれない釜山との戦いという、かなり微妙な試合展開で、こういう試合が毎節続いたらなあお客さんを呼ぶのは難しいかもしれない。

 試合はどちらも決定的なチャンスに持ち込めるような場面もなく、スコアレスドローで終了した。みんなそそくさと帰る。私も引き上げる。スタジアムを見に来ただけで満足という得るような試合だった。

 仁川サッカー競技場 観衆:2,361人


◆韓国遠征記4に続く
 

2012/05/24

◆韓国遠征記2 Nリーグ

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◆韓国遠征記1 の続き

 「Nリーグ」とは韓国ナショナル・リーグのことを指す。韓国アマチュアサッカーの最高峰リーグで、日本で言うとJFLに相当する。試合は全試合無料。そのため試合会場は補助競技場や人工芝ピッチが割り当てられることが多い。無料なのでチームの手出し金はバカにならないはずだが、韓国は国土が狭い割にはバス路線が異常に発達しているので、移動費は日本よりもずっと安く、スポンサーを確保してしまえばなんとかなるのかもしれない。

 Nリーグは蔚山美浦や韓国水力原子力などの企業チームもあるが、市庁チームも多い。今日のカードは昌原市庁対龍仁市庁と、市役所対決となっている。こういう自治体がリーグに参加してくるあたりがJFLとは少し違う。もっともJFLだって藤枝市役所や秋田市役所が参入を企てたこともあるのでやろうと思えばできないことはない。関東サッカーリーグには海上自衛隊が参加してJFLへの昇格意志もある。

 昌原サッカーセンターに到着し、スタジアム脇の階段を駆け上がってみると、既に試合が行われていた。と言っても開始10分程度なのでそれほど問題ではない。夜7時過ぎとはいえ周囲は充分に明るく、夕方と言った感じである。薄簿の中、ガラガラのスタジアムで行われている試合はまさにアマチュアサッカーのそれであった。

 何枚かスタジアムの写真をとり、バックスタンドに座る。その瞬間、強烈な既視感が襲ってきた。この光景、この空気、どこかで感じたことがある。それはまさに三ツ沢球技場そのものだった。

 収容人数1万5千人という点で昌原サッカーセンターと三ツ沢球技場は似たような規模と言える。それに加え、飾り気のない、サッカーを見るだけの設備、スタンドの角度、メインスタンドにしか屋根のない観客席、そういう空気が通い慣れた三ツ沢を思い出させてくれた。でもそれがいい。このクラスのスタジアムはこの形が完成形なのだなと思う。

 私が到着したとき、試合は既に0-1だった。アウェイチームが点を取っている。ゴールを見逃したのでちょっと残念。サッカーファンがよく体験することの一つに「トイレに行っている時に点は入る」というのがあるが、それと同じような気分になる。

 試合はまあ、取り立てて戦評を書くほどのものでもなかったが、決してレベルの低いものでもなかった。異なるリーグ同士を比べてどちらがレベルが高いかを論じるのは非常に難しいけれど、基準の一つにミスが多いか少ないかというのはあると思う。日本の場合、Jリーグから始まってJFL、地域リーグ、県リーグとカテゴリーを落とすにしたがってミスも比例して増えていると思う。もちろんチャレンジングな戦術をとっているからミスも多くなるというのもあって、必ずしも一概には言えないのだが、そういう傾向はある。

 そういう観点で見るとこの試合は殆どミスはなかった。もっともパスは足下が多いし、お互いの戦術もゾーンディフェンスなので中盤でボールを回している限りではそれほど取られる場面は少ないのだけれど、ちゃんと練習していなければこういう試合はできない。面白い試合ではないが、つまらなくもない。典型的なアマチュアの試合だった。試合は前半終了間際のラストプレーでホーム昌原がコーナーから押し込み同点に。ハーフタイムとなった。機内食から何も食べていなかったのでお腹が大変空いている。私は売店に行き、カップ麺を買った。パッケージが全部ハングルで書かれているので作り方がわからないが、適当に待って食べる。口の中がやけどをするかのような激辛が襲ってきて、かなりきつかった。

 お客さんは殆どが選手の家族又は友人、地元の少年サッカーチームで、いわゆるサポーター団体はいなかった。それでもスタジアムDJが存在していて、ハーフタイム抽選会までやっている。観客はおおよそ200人程度だろうか。空席感がバッチリ漂うスタジアムの中で行うハーフタイム抽選会は恐ろしくシュールな光景だった。背中に少し寒いものを感じた。

 後半はメインスタンドに移って引き続き観戦する。段々飽きてくるが頑張ってみる。修行のようなものを感じたあたりで試合は終わった。後半はスコアレス。前半の1-1がトータルスコアだった。私はすぐにスタジアムを出たが、出る直前で照明が8割ほど消え、スタジアムは暗くなった。まるで今日は試合が無かったような、そんな感じだった。

 昌原サッカーセンターは市街地から2キロほど離れている。以前ならタクシーでホテルに向かうところだが、今回はスマホを頼りに歩いてみる。スマホにグーグルマップを表示させ、「MOTEL」と打ち込んで検索すると、ドカドカっと繁華街のあたりに表示されてきた。これは凄い便利。スタジアム周辺は何もなくて寂しい風景だったが、歩いて行くうちに開けてきた。繁華街のネオンが眩しい。きれいめのモーテルを選んでフロントに行き、泊まれるか尋ねてみる。一泊4万ウォン(約2800円)とのこと。去年より1万ウォン値上がっているが、まあいい。丸いベッドの上に荷物を放りだし、二つあるガウンのうち一つを放りだして上着を掛け、二つある枕のうち一つを外に出し、少し寝転がる。どっと疲れが出た。疲れが出たが、お腹も空いたので外に出る。外は焼肉屋が林立している。そのうちの一つに入った。ホルモンとカルビ、ビールを頼む。店のテレビでは韓国プロ野球の試合を写していた。満員のスタジアムで行われる野球の風景と、今日観たサッカーの風景があまりにも違い過ぎて、少し寂しくなった。

 明日はソウルに戻り、Kリーグを観戦する。

 昌原サッカーセンター 観衆:約200人(目測)

 (韓国遠征記3へ続く)

2012/05/23

◆韓国遠征記1 昌原(チャンウォン)へ

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到着からしてツいていなかった。成田空港10時発の日本航空951便は到着が約1時間遅れて韓国仁川空港に着陸した。、時間はもう13時30分。さらに着陸時が他の路線とかち合ったらしく入国カウンターは混雑し、入国手続きに30分以上かかってしまった。今日はこのあと釜山に出て、市外バスに乗って昌原市に行く。昌原サッカーセンターで行うナショナルリーグ(Nリーグ)の試合は19時開始。ギリギリ、いやどうみてもアウトの状況であった。悲しい気持ちで仁川空港鉄道に乗り、ソウル駅に向かう。ガラガラの車内がむなしさを加速させる。もうマイレージ切ってまでこういう旅行をするものでもないなと感じてしまう。

 マイレージによる特典航空券はどこに行くのが一番トクなのか、というのがあって、最近までは韓国だった。閑散期に1万2千マイルで羽田-ソウル金浦空港往復、それも朝1番の便で飛び、最終便で帰るとマルマル3日間現地で過ごすことができる。まともにチケットを買うと5万円超。燃油代もたいしたことは無いので、毎年このパターンで韓国に行っていた。

 それが羽田国際ターミナルが新築オープンし、さらに日本航空がB747ジャンボジェットを引退させて一回り小型のB767に変更したあたりからチケットが取りにくくなってきた。金曜朝羽田を出発、日曜夜羽田帰国はほぼ不可能となり、時間が掛かる成田-仁川便を使わざるをえなくなった。必要マイルも1万5千になった。午前5時におきて成田空港に出かけ、午後1時にソウルについて鉄道で釜山に向かうくらいなら格安チケットを買って最初から釜山空港に行った方がましなのかもしれない。時代は変わる。LCC全盛の現在、マイルをためるという行為自体、古くなりつつあるのかもしれない。

 幸い、鉄道の乗り継ぎはうまくいき、予定より1時間早いKTX釜山行きに乗ることができた。とりあえず出かけよう。試合開始には間に合わないかもしれないが、試合終了までには着くだろう。3年前に完成した専用スタジアムである昌原サッカーセンターは是非とも観たかった。

 KTXは韓国が誇る高速鉄道ではあるが、在来線を通る箇所もあるので時間が掛かる。今年になって蔚山や慶州のあたりが新線開通したけれど、それでもソウル-釜山間420キロが2時間40分である。(ちなみに日本の新幹線は東京-新大阪間510キロを2時間30分で走る。)しかもこのKTXは定時運転は絶望的、車両故障も多いとあって、よくこういうものを輸出しようと思うな、と時間が遅れているせいもあって一人で憤っていた。定刻より5分遅れて17時45分、釜山駅到着。昌原方面に出発する釜山西部バスターミナルは地下鉄で行くのが普通だが、乗換があるのでタクシーで行く。釜山駅前で客待ちをしているタクシーに飛び乗り、西部バスターミナルまでと告げたのだが、このタクシーが酷かった。

 先月、私はスマートフォンに買い換えたこともあって、今回の旅行は海外パケホーダイに加入した。最大のメリットはGPS連携による地図の表示で、今どこにいるかがリアルタイムでわかる優れものである。スマホよりもガラケー(従来タイプの携帯電話)の方が便利という人も多いけれど、少なくとも海外で地図が確認できるメリットは計り知れない。しかもGPS連携である。ようは世界規模のカーナビを手に入れたようなものだ。

 タクシーの車内でスマホを広げ、GPSで地図を確認していると、どうも行き先がおかしい。明らかに近い道があるのに遠回りをしている。あるいは細い道路を通っている。タクシーのメーター料金はカタカタと跳ね上がっている。私のイライラは頂点に達した。

 運転手を怒鳴りつけても良かったのだが、議論をする時間は全く無いので、信号待ちをしている時を見計らってタクシー運転手にGPSスマホを見せつけてやった。以後、タクシーは大通りを快走し、30分程度でバスターミナルに着いた。料金は1万1千ウォン。日本円にして800円程度だからどうでもイイと言えばいいのかもしれないが、韓国のタクシーで1万ウォンもだせば結構長距離を走ることができるはずだ。日本でこういうセコイことをするタクシーはめっきりと少なくなった。こういう部分があるから、「所詮は韓国」なのだと思う。

 釜山-昌原間のバスは頻発していて、チケットを買って発着場に行くと既に発車直前だった。慌てて飛び乗る。バスはすぐに発車し、高速道路をひた走った。1時間くらいはかかるかなと思っていたが、高速直通のせいか、案外速く走り、30分程度でついた。私はGPSで現在のバスの走行位置とスタジアムの場所を見比べて、ギリギリ近いバス停で降りた。こういうことができるのもスマホのおかげである。これは今後の海外旅行の仕方が一変するかもしれない。スタジアムまでは約1キロちょっと。歩こうと思えば歩ける距離だが、時計は7時ちょうど。たった今試合が始まったところだ。迷わずタクシーで行くことにする。幸いにも容易に捕まえることができた。スタジアムまで飛ばす。目の前に煌々と光る照明塔が現れた。いろいろあったけれど19時10分、スタジアム着。

 ◆韓国遠征記2へ続く)

 昌原サッカーセンター↓


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